
年に数回、休日に家に自分一人だけのことがある。そんな日は、疲労を取りたいので、できるだけダラダラ過ごす。
遅めに起き、タブレットで動画を観ながら納豆ご飯を食べ、あっと言うまにお昼が来て、ご飯を作るためにスーパーに買い出しに行く。
ちなみに寝間着は絶対に着替えない。寝間着はトレーナーとスウェットなので、冬はコートを羽織れば誰も気にしない。春や夏は、私これからジョギングをするんです風の寝間着を着るので、堂々と行ける。

昼と夜の食材を買い出して、家に戻って料理をする。ご飯を作るのは好きなので、これは苦にならない。あとは寝転がったり、動画を視たり、スマホをいじったりしているうちに一日が終わる。
こんな感じでダラダラ過ごすと、疲労感がすごく取れそうだが、なぜだか取れない。
そもそも自分は疲れているのだろうか?鍼灸師という仕事は、肉体的にはほとんど疲れない。鍼を打ち、モグサをひねるだけだ。ほぼ指先しか動かさない。
自分のこの疲労感は、肉体の疲労ではないのだ。なので、一日安静に過ごしたところで解消できないのだろう。
身体的な疲労感には二種類ある
そういえば『養生訓』には「身を按閑にするは、反って元気滞りふさがりて病を生ず」と書かれていた。つまり、身体を安静にしすぎることで元気が滞り、それが疲労感として出るのかもしれない。休日にダラダラ過ごすと、ただでさえ欝滞している気が、余計に滞ってしまうのだ。
身体的な疲労感は2種類ある。肉体労働によるものと、安静にしすぎることによる疲労感だ。もしかしたら、現代人の疲労感の多くは後者なのかもしれない。
貝原益軒はまた「家に居て時々わが体力の辛苦せざる程の労働をなすべし」とも言っている。これからは休日も早起きして、少し運動をしよう、と一瞬だけ思った。