
嫌なことがあっても、それをこころに留めないようにする。こころの養生の基本だ。
『養生訓』には「過ちがあっても一度は我が身を責めるが、二度は悔いない」とある。感情をこころに留めると、気が乱れると考えられえているからだ。
例えば思い悩むと気が閉塞し、怒ると気が頭部にのぼる。ネガティブな感情に限らず、貝原益軒は喜びや楽しみが過度になると気が減るとも言う。
このように、感情をこころに留めると気の乱れを生じ、身体的な不調につながるが、それだけではすまない。
こころの半分が特定の感情で埋まっていると、当然ながら頭脳も半分の力しか出せなくなり、何をしても能率が落ちてしまう。そしてこころが感情で埋め尽くされると、何もできなくなる。
こころを簡単に無にする事ができればいいが、そんなことは誰もできない。では、この状態はどう解決すればよいのだろう。
江戸後期の『養生手引き草』という本には、和歌を暗誦してこころを落ち着かせる方法が記載されている。その和歌は沢庵和尚が、子どもを亡くした母親に贈ったとされる。
何事もそれにまかせておく山に
こころばかりはすみ染のそで(『養生手引き草』)
悲しみの感情が湧いてきたら、和歌を暗唱して上書きするということだろう。
つまり、こころを無にするのは無理なので、別の物で埋めてしまうという方法だ。これは坐禅の数息観(すそくかん)にも似ている。
数息観とは、呼吸の数を1から10まで数え、数え終わったら、また10まで数えるのを繰り返すという、精神を落ち着かせるための方法だ。意味を持たない数を数えることで、雑念や湧き出る感情の上書きをする。
世界的な人気漫画である『ジョジョの奇妙な冒険』にプッチ神父というキャラクターが登場するが、苦境におちいった神父が素数を数えて冷静に乗り切った時のセリフはあまりにも有名だ。
落ち着くんだ・・・『素数』を数えて落ち着くんだ・・・ 『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字・・・・・・わたしに勇気を与えてくれる
(『ジョジョの奇妙な冒険』)
和歌や数など、思考の入らない、無の性質を含んだ情報でこころを埋め尽くし、無に近い状態にする。
強いストレス下での仕事や、眠れない時など、こころを落ち着かせたい時は、深呼吸をしながら、こころの中で呼吸を数えたり、お気に入りの歌を暗誦したりしてみよう。